健康経営の推進におけるメンタルヘルス不調者低減の取組
公開日:2024年5月29日
健康経営・メンタルヘルス
■ 昨今、健康経営の実践においては、業務パフォーマンス指標(アブセンティーイズム、プレゼンティーイズム、ワークエンゲイジメント)の評価・分析が注目されていますが、これらの指標の改善には、メンタルヘルス対策が不可欠な要素です。
■ メンタルヘルス対策を全社的な取組とするためには、健康経営における重要課題として位置づけ、経営層の関与の下で着実なPDCAサイクルを推進していくことが望まれます。
■ メンタルヘルス不調者は再発率が高い傾向にあり、初発だけでなく再発の防止策を強化することにより、より効果的に不調者の低減ができます。
■ 再発防止については、特に職場復帰時における会社の方向性を明示するとともに、各関係者の役割を明確化することで、効果的な施策となります。
健康経営におけるメンタルヘルス
(1)健康経営の概要
2016年から始まった「健康経営優良法人認定制度」は、大規模法人3,523社、中小規模法人17,316社の申請規模まで拡大(2023年12月時点[1])しており、この制度の下、現在では多くの企業が健康経営の取組を進めています。
健康経営は、従業員の健康を増進させることで、企業価値向上等を目指す取組であり、従来より行われていた健康管理とは若干性質が異なっています。従来の健康管理では不調や病気といった状態をいかに健康な状態にしていくかが求められていましたが、健康経営では、従業員一人一人がイキイキと働き、意欲や生産性を高められるような取組を行っていくことが重要となります。
(2)健康経営の「健康」とメンタルヘルスの位置づけ
健康経営における「健康」は、身体的健康、精神的健康、社会的健康(注1)の「3つの健康」で構成されます。各企業は、「3つの健康」を充実させるアプローチを行うことで、従業員がイキイキと働き続けられる状態にすることが重要となります。したがって、健康経営の取組を進める上では、「3つの健康」のうちの一つである精神的健康、つまり従業員のメンタルヘルスの向上および充実は不可欠な要素となります。
(注1)社会的健康…職場の良好な人間関係、働きがい、ワークライフバランスの充実等を含む
(3)健康経営優良法人認定制度におけるメンタルヘルス
メンタルヘルスは健康経営優良法人認定制度 (以下、認定制度)でも課題に据えられており、多くの企業は、解決したい課題としてメンタルヘルスを選択しています。また、メンタルヘルス不調者の実態把握等も健康経営度調査票における回答項目となっており、認定制度において、従業員のメンタルヘルス向上の施策は重要な取組の1つとして位置付けられています。
メンタルヘルス不調者低減に向けた取組
メンタルヘルス不調者への対応は多くの企業で課題として捉えられていますが、現状では不調者の低減に成功している企業は少ないです。本稿ではメンタルヘルス不調者を戦略的に低減させるポイントとして、以下を紹介します。
ポイント① 健康経営の推進基盤に基づくメンタルヘルス対策のPDCA
ポイント② メンタルヘルス不調の再発防止の取組強化
<ポイント①:健康経営の推進基盤に基づくメンタルヘルス対策のPDCA>
(1)従来のメンタルヘルス対策における課題
これまでのメンタルヘルス対策では、人事部門や産業保健スタッフのみが、その対応を行っている傾向があり、部門間・関係者間の協力体制が構築されないまま実施されていることが課題として挙げられます。
メンタルヘルス不調は個別性が高いため、本来であれば各関係者(従業員本人、管理監督者、人事部門、産業保健スタッフ等)が協力し、連携を取りながら慎重に対応が進められるべき性質があります。しかし、実際は「専門家がいない」、「対応が難しそう」、「心の問題は個人に任せたい」などの理由から、限られた担当者がメンタルヘルス関連の対応を検討し、また不調者が出た際の休職・復職時のフォローを行う傾向にあります。結果として各関係者の役割が不明確なままとなり、組織的なメンタルヘルス対策ができず、効果的な対応が困難になっています。
(2)メンタルヘルスが業務パフォーマンスに与える影響
健康経営では業務パフォーマンス指標(アブセンティーイズム、プレゼンティーイズム、ワークエンゲイジメント(表.1))の評価および分析が注目されており、健康経営を実践する際の最終的なゴールである、「企業価値向上」を実現するためには、これら3つの指標の向上が重要とされています。(図.1)
従業員のメンタルヘルス不調は、仕事への集中力や判断力の低下をもたらし、業務遂行能力を下げてしまいます。また、メンタルヘルス不調者が発生することで、周囲の従業員へも影響があるため、職場環境が悪化することも懸念されます。さらに、メンタルヘルス不調による平均休業日数は3ヵ月以上[2]であり、その他の疾患による平均休業日数の2倍以上になるとも言われています。このように、メンタルヘルス不調は業務パフォーマンス指標に大きな悪影響をおよぼすものであり、健康経営を行う上でもメンタルヘルス対策は極めて重要となります。
(3)健康経営推進基盤を整え、メンタルヘルス対策を健康経営の重要課題と位置付ける
効果的に対策を進めるためには、健康経営の推進基盤に基づきメンタルヘルスの各施策のPDCAを回すことが重要となります。
①健康経営の推進基盤整備
健康経営では、特に重要な課題について全社的取組として実施し、効果的に進めることが望まれます。全社取組とするためには推進基盤を整備する必要があります。そのためには、経営層が健康経営の必要性を認識し、健康経営によって会社の目指す姿を明確にしたうえで、経営層自らが関与しながら課題解決に向けた各施策が行われるようにすることが必要になります。認定制度においてもこの点は年々評価の比重が高まる傾向にあり、重視されています。
また、各施策の実行や効果検証に当たっては、経営層が全体の責任者として関与し、PDCAサイクルが回るようにモニタリングしながら、経営レベルの定例会議の中で目標値やKPIの達成状況が共有されるような体制を構築する必要があります。
②業務パフォーマンスを指標とし、メンタルヘルス対策を実施する
前述のとおり、メンタルヘルス対策は、業務パフォーマンスの向上を目指すうえで重要課題(経営課題)となります。そのため、健康経営の重要な取組の一つとして、メンタルヘルス対策を位置付けます。前掲の推進基盤に基づき、経営層の関与の下、自社のメンタルヘルス不調者の傾向や発生状況等を指標として、改善の目標値や今後の具体的なアクション、各施策の進捗管理等を行います。このように取り組むことで、従来のような限られた部門だけでの推進にとどまらず、メンタルヘルス対策が全社規模の取組として推進されることとなります。
<ポイント②:メンタルヘルス不調の再発防止の取り組み強化>
メンタルヘルス不調の特徴は、その多くが再発を繰り返してしまうことにあります。メンタルヘルス不調による休業や退職といった課題を改善するためには、従来以上にメンタルヘルス不調者の再発防止の取組を強化することがポイントとなります。
(1)メンタルヘルス不調の初発と再発の傾向
メンタルヘルス不調は、初発か再発かによって発生率が異なることが分かっています。[2]不調の初発は生涯有病率を基準として考えることが多く、メンタルヘルス不調の場合、生涯有病率はおよそ10%程度とされています(10人に1人がメンタルヘルス不調になる可能性があるという計算)。つまり、メンタルヘルス不調の初発は一定数発生することになります。
一方で再発の傾向を見ると、メンタルヘルス不調で休職に至ったケースでは復職後5年間における再発率がおよそ50%というデータがあります[2]。つまり、メンタルヘルス不調の再発は、初発に比べると非常に高い確率で起きることが分かり、この傾向が、企業内のメンタルヘルス不調者の増加に歯止めがかからない状況を作り出しています。新たなメンタルヘルス不調の発生を防ぐ(初発の対策をする)ことはもちろんですが、不調の再発防止策を強化することが、企業のメンタルヘルス不調者を減らしていく取組として極めて重要となります。
(2)実際の対応における課題
メンタルヘルス不調者が発生すると、会社は休職・復職の対応を行うことになりますが、特に職場復帰時における対応は、その後の不調再発に大きな影響を与えることになります。ここでは主な2つの課題を取り上げます。
①職場復帰の可否判断
職場復帰時の対応において、多くの企業では主治医の復職診断書によって復職を決定している傾向があります。この傾向は企業におけるメンタルヘルス不調の再発が多くなってしまう理由の1つとして挙げられ、大きな課題となっています。
主治医による復職診断書は、日常生活レベルの回復をもって診断されることが普通で、ほとんどの場合、職場復帰後に必要とされる業務遂行レベルとはギャップが生じてしまいます。そのような「職場復帰時のギャップ」が生じることは、復職者にとって過負荷状態を招くことになり、結果的にメンタルヘルス不調の再発につながってしまいます。
②各関係者の「知識不足」
メンタルヘルス不調の再発率を高めてしまうもう一つの理由として、メンタルヘルス不調者発生時に、その対応を行う各関係者の「知識不足」が挙げられます。
メンタルヘルス不調の当事者は、休職に伴うキャリアの中断や収入減少等将来の不安を感じて職場復帰を焦るなどの傾向があります。また、上司である管理職は、当事者の復帰後、そもそもどのように接すればよいのか分からず対応に迷うことも多いです。人事労務担当や産業保健スタッフも、企業によっては、メンタルヘルス不調者への対応経験が相対的に少ない場合もあり、関係者へ適切な対応を働きかけることが難しいケースもあります。さらに主治医等の外部資源は、当事者の思いに耳を傾けがちで、組織で必要とされる業務レベルを充足できるかという点の考慮が不足がちになります。(実際に、職場復帰時の診断書記載に関しては、約90%が「職場での患者利益を考えて虚偽ではない範囲内で表現を緩和することが非常に多い[3]」という文献もあります。)
このような状況のため、職場復帰前後において関係者の認識に相違が生じ、復帰後の受け入れ体制が整えられず、不調の再発を助長することになります。
(3)再発防止の取組
再発防止の取組においても、着実にPDCAサイクルを回していくことがポイントになります。また、前段で触れたとおり、職場におけるメンタルヘルス不調者への対応では、慎重に職場復帰の可否判断を行う必要があり、さらに関係者の多くが抱える「知識不足」を解消する必要があります。
①PDCAサイクルが回る再発防止策の計画を立てる
すでに健康経営の推進基盤については述べましたが、そのような推進基盤の中で、メンタルヘルス対策における再発防止の取り組みのPDCAサイクルをしっかりと回すことが重要です。
PDCAサイクルを回すためには、社内においてコンセンサスを得られるよう健康経営の中期計画(3カ年等)を策定し、重要課題においてもこの中に盛り込むことが望まれます。また、これに基づいて年度毎の目標を含む実行計画やアクションプランを立てることが必要となります。
再発防止策を進める上で自社の課題を把握(例:メンタルヘルスによる長期休職者●人、職場復帰時の基準が不明確等)し、具体的な施策(例:職場復帰時の全社ルールの策定および見直し、管理職の職場復帰支援研修の実施等)に落とし込み、目標(例:メンタルヘルス長期休職者●人に低減、管理職の理解度●●%等)を立て、期限(例:長期休職者、20●●年度…●人、20●●年度…●人…等)を定め、進捗状況をその都度確認すること等が必要となります。このような運営を着実に進めて行くことで、メンタルヘルス対策における再発防止策のPDCAサイクルが確立されます。
②職場復帰支援時の各関係者における役割の明確化
職場におけるメンタルヘルス不調の再発防止の具体的な取組としては、教育・研修だけでなく、組織において、メンタルヘルス不調者が発生した際に、誰がどのように対応するのか、どのような基準で復職を認めるか等を定めた規定等の整備が重要となります。
ここで、不調の再発防止を目指す職場復帰を実現するためには、厚生労働省から示されている「心の健康問題によって休業した労働者の職場復帰支援の手引き[4]」に示される5つのステップ(図.2)を着実に進めていくことが推奨されています。
この中でも、特に第3ステップ~第5ステップはメンタルヘルス不調者の実際の職場復帰に直結するステップです。そのため、会社および人事部門、産業保健スタッフ、管理職、従業員本人等、各関係者がスムーズに連携し情報共有を行える環境の下で、その対応に当たることが求められます。「職場復帰時のギャップ」については前段で触れたとおりですが、効果的な職場復帰支援を実現するためには、このギャップを埋められるように、会社の期待する業務遂行レベルを明確に示し、組織として認識をそろえておくことが極めて重要です。また、メンタルヘルス不調者の職場復帰時に各関係者がどのような役割を担うのか、どのような対応を行う必要があるかなども含め、各種規定や対応フロー等を事前に整備することで、再発防止の取組の質が担保されることになります。
最後に
従業員一人ひとりの生産性向上は、各企業の重要な経営課題と考えられます。メンタルヘルス不調が従業員の業務パフォーマンスに大きく影響をおよぼすことを踏まえますと、メンタルヘルス対策を推進することは不可欠な取組と言えます。まずは、このようなことを経営層が認識することが大切です。社内におけるメンタルヘルス不調者数・休職者数や再発の状況等を具体的な数値で把握した上で、重要課題として取り組むためには経営層の関与の下、効果的にPDCAサイクルを回すことが必要になります。
また、メンタルへルス不調発生の傾向として、再発の割合が非常に高いことについて述べました。効果的な対策として、職場復帰時の対応を慎重(かつ効果的)に行うことが重要となります。さらに、再発を効果的に防止していくためには、改善の目標値を含む中長期計画や年度毎のアクションプランを策定して、着実にPDCAを回していく必要があります。また、メンタルヘルス不調者が発生した際の各関係者の役割を明確化し、職場復帰に関するルールや対応フロー等を各種規定として定めることで、社内における取組の質が保たれます。
おわりに、このように組織としてメンタルヘルス対策を進める仕組みを整備している場合でも、各関係者の役割が十分に機能しているか、進めている施策は期待した効果を上げているかという点について、定期的に振返りながらPDCAの質を高めていくことも重要となることをお伝えします。
【参考文献】
[1]経済産業省 第10回 健康投資ワーキンググループ 事務局説明資料,2023
[2]遠藤源樹 主治医と産業医の連携に関する有効な手法の提案に関する研究 研究8 病休と復職支援に関する調査と分析,2017
[3]川崎舞子 職場復帰支援に関する研究の現状と展望 東京大学大学院教育学研究科紀要 第53巻,2013
[4]厚生労働省 心の健康問題によって休業した労働者の職場復帰支援の手引き
MS&ADインターリスク総研株式会社発行の人的資本・健康経営インフォメーション(2023 No.4)を基に作成したものです。