データドリブンな人的資本経営の実践に必要なHRシステムの整備とは

公開日:2025年5月30日

人的資本経営

■ HRシステムを活用したデータドリブン(注1)な人的資本経営の実践が重要である一方、多くの企業がその活用を十分に行えていません。
■ 経営層や現場マネージャー、従業員等の多様な社内ステークホルダーからの人事へのニーズが変化しているが、HRシステム(注2)基盤がそれに対応できていないことが主要な原因の一つです。
■ データドリブンな人的資本経営を実践するには、HRシステム基盤を整備し、各ステークホルダーが必要な情報を必要なタイミングで把握できる仕組みを整える必要があります。
■ HRシステム・データの活用レベルは初級、中級、上級の3段階に分けられ、データドリブンな人的資本経営の実践には最低限中級レベルを目指すことが必要でしょう。

人的資本経営の広がりとHRシステムにおける課題

経済産業省が発表した「人材版伊藤レポート(注3)」は、人的資本経営の重要性を示す資料として日本国内で広く認識されました。同レポートの「人的資本が企業価値向上の源泉である」という考えに賛同する多くの日本企業が、自社の競争力を高めるために人的資本経営の実践に注力しています。

近年の企業経営においては、さまざまなデータを活用し客観的な根拠に基づいた判断を行うことで、組織の意思決定や戦略立案・実行の精度を向上させる「データドリブン経営」が求められています。人的資本経営は、「人材を資本と捉え、投資によってその価値を最大化し、持続的な企業価値向上を実現する経営手法」と定義されており、勘や経験に頼りがちといわれる人事領域においても今後はデータドリブン経営が求められていくでしょう。

しかし、現状ではデータドリブンに人的資本経営を実践できている企業はごく一部に限られています。このような実践を難しくしている要因の一つとして、人的資本経営において期待されている人事の役割変化に対応して、既存のHRシステム基盤やHRデータの管理の仕組みをアップデートできていない企業が多いことが挙げられます。

伝統的なHRシステムの多くは人事部門の業務を効率的に運用することを主たる目的として設計されてきましたが、データドリブンに人的資本経営を推進するためには、人事部門以外の多様な社内ステークホルダーがHRシステムやデータを活用できる仕組みが求められており、ギャップが生じています。

本稿では、以上の問題意識を踏まえ、人的資本経営における人事の役割変化について概観した上で、データドリブンな人的資本経営を実現するために必要なHRシステム基盤やデータの活用法について解説します。

人的資本経営の推進における人事の役割変化

人的資本経営の推進における人事の役割は、従来の人事・労務管理を中心としたオペレーション業務から、「戦略的な情報提供」と「人・組織課題の解決に向けた知見を提供」することに変化しています。本章では、人的資本経営を推進する上で人事への期待役割がどのように変化してきたかを概観します。

(1)伝統的な人事部門の役割

従来人事部門に期待されていた役割は、主に人事情報の管理や給与計算など、機微な情報を用いて正確かつ効率的なオペレーション業務を実行することでした。こうした業務を遂行するにあたっては、人事部門が機微な情報を閉鎖的に管理し、他の関係者への情報共有を最低限に抑えることが合理的でした。

このように、人事部門は経営層や各事業部門とのコミュニケーションを最小限に抑え、決められたルール・仕組みに沿ったオペレーション業務を行う「クローズドな人事」であったといえるでしょう。

(2)人的資本経営を推進する上で求められる人事部門の役割

人的資本経営を実践する上で、人事部門に期待される役割に変化が生じました。従来のオペレーション業務に加えて、社内のステークホルダーとのオープンなコミュニケーションが必要となったのです(図1)。

人的資本経営は人事部門だけに留まらず、経営層や現場マネージャー、従業員を巻き込んで全社的に取り組む必要があります。例えば、経営層は中期経営計画で定める経営戦略の実行に向けて、「経営戦略に必要な人材の質・量の拡充や、あるべき組織・企業文化の醸成」を人事部門と連携して行わなければならないです。

また、現場マネージャーは事業環境や部下の価値観が変化する中で事業の維持・拡大の実現に向けて、「事業戦略の実行に必要なスキルを保有する人材の確保・育成や、一人ひとりのモチベーション管理」の実行が必要となります。さらに、従業員は個人の目指すキャリア・成長目標の実現に向けて、「自律的なリスキリング、職務・ポストの選択を通じたキャリア形成」を求めています。

以上のように、人的資本経営を推進する社内のステークホルダーが広がる中で、人事部門には「各ステークホルダーの意思決定に必要な情報の提供」や「人・組織課題の解決につながる人事の専門的知見の提供」が新たな役割として期待されるようになりました。すなわち、これらステークホルダーとのコミュニケーションを重視する「オープンな人事」が求められるようになったのです(図1)。

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人的資本経営の推進に必要なHRシステム基盤

前章では、人的資本経営の実践において人事に期待される役割がクローズドからオープンに変化してきたことを見てきました。それでは、その役割変化に応じて、人事情報を管理するシステムはどのように変化させるべきなのでしょうか。

(1)クローズドなシステム基盤ではデータドリブンな人的資本経営の実践は困難

人事が従来から使用してきた「人事基幹システム」には、社員情報や給与情報が格納されており、原則として人事部以外はアクセスしないクローズドなシステムでした。このようなシステム基盤しか保有していない場合、各ステークホルダーはHRシステムにアクセスできず、人や組織に関する課題特定・意思決定・コミュニケーションに必要な情報をタイムリーに得ることはできません。

必要な情報について都度人事部門に共有を依頼し、表計算ソフト等の形式で受け取り、集計・加工・分析することも可能ではありますが、関係者全員にとって負担が大きく、データドリブンな運用には程遠いでしょう。以上の理由から、従来の人事基幹システムのみでデータドリブンな人的資本経営を実践することは困難と言わざるをえません。

(2)データドリブン人的資本経営の実践に必要なシステム基盤とは

データドリブン人的資本経営の実践には、各ステークホルダーが自分たちの役割に応じた範囲・権限でアクセスできるオープンなシステム基盤の整備が必要となります(図2)。

オープンな人事が求められるようになり、既存の人事基幹システムだけでは対応が難しくなったことで、人事の各領域に特化したシステムの導入が進んできました。領域特化のシステムには教育管理システム(Learning Management System;LMS)や組織診断サーベイなどが含まれます。これらのシステムで管理する情報は人事基幹システムに比べて機密性が低いこともあり、人事部門以外の社内ステークホルダーもアクセスできる仕様になっている場合が多いです。

例えば、現場のマネージャーが自部門のメンバーのみに限定されたアクセス権限ながら、自部門の教育進捗の現状やエンゲージメントに関する課題の特定・原因分析を実施している例があるでしょう。

しかし、人的資本経営を実践する上では、これまで見てきたクローズド・オープンな各システムのデータを統合して、経営的な視点で戦略を立案したり、社内外への開示に活用する必要が生じています。そのために必要となるのが「統合・可視化・分析のためのシステム」です。

「統合・可視化・分析システム」は、組織全体の人的資本に関する情報をまとめて把握し、定量分析に基づき課題の特定につなげることができるシステムのことです。さまざまな領域別のシステムを導入すると、システムやデータが各システムにバラバラに保存された状態となり、俯瞰して組織全体の状態や課題を特定することが困難になります。

そのため、組織全体を定量的に把握・分析するために、このようなシステムが必要となります。例えば、「タレントマネジメントシステム」や「BIツール(注4)」等の導入がそれにあたります(タレントマネジメントシステムは、社員名簿のように主に従業員や現場マネージャーが使用する機能と、組織課題の特定に向けた組織分析・ダッシュボード機能のように経営層や人事が主に使用する機能の双方を備えているため、図2では分けて表記しています)。

システム基盤を整備してデータの透明性を高め、必要な情報を必要な範囲で共有できる仕組みを構築することで、各ステークホルダーのスムーズな意思決定を支援することが可能になります。

人的資本経営に必要なHRシステム・データの活用度合い

前述のとおり、人的資本経営においては「統合・可視化・分析」のシステムが重要となります。本稿においては、同システムの整備・活用の度合いによって、データドリブン人的資本経営のレベルを初級・中級・上級に分けています。人的資本経営に求められる幅広い領域のデータを収集・分析し、社内外に向けた説得力のある開示につなげるためには中級以上のレベルは必要ではないかと考えられます。

①初級レベル

初級レベルは、HRデータが別々のHRシステムで管理されており、特定領域のHRデータから個別の事象は把握できますが、相当な工数をかけなければ全体像が把握できない状態と定義しています。

当レベルの企業では、給与、評価、労務等、各人事の領域に特化した複数のHRシステムでHRデータを管理しており、「統合・可視化・分析」のシステムが存在していないことが多いです。一部のHRデータはExcel等の表計算ソフトで管理されていることもあります。

各システムのデータを確認すれば、人事の特定領域で起きている事象を把握することはできますが、その事象が起きている原因特定に向けたデータ分析を行うには、他のシステムで管理されているHRデータをCSV等の形式で抽出し、表計算ソフトで整理・統合した上で分析する必要があります。

手作業で整理・統合することに多大な時間を要することに加え、ヒューマンエラーも発生しやすいです。データの正確性の確認まで行っていると、問題事象の分析に必要な時間を捻出することができず、結果として事象を把握するレベルで終始してしまうことが多いでしょう。

②中級レベル

中級レベルは、ある程度効率的にHRデータの整理・統合・可視化を行った上で、HRデータの分析に基づく人・組織課題の特定が可能な状態と定義します。

当レベルの企業の特徴としては、統合・可視化システムを導入することで、さまざまな領域のHRデータを統合・可視化できるシステムインフラが整備されていることです。

各システムから統合・可視化システムに同期するには、データクレンジング等の一定の手作業が発生するものの、データの整理・統合を表計算ソフトで行うことに比べると大幅な効率化が実現できています。

そのため、データ分析の時間を一定程度捻出することができ、複数のデータの掛け合わせによる新しい事実の把握や、データ分析に基づく人・組織課題の特定まで行うことができるでしょう。

③上級レベル

上級レベルでは、大半のHRデータがタイムラグが少ない状態で統合・可視化ができ、経営層や現場マネージャーのタイムリーな意思決定に貢献する上、高度なデータ分析に基づく人・組織課題の特定が可能な状態と定義します。

当レベルの企業の特徴としては、一つのシステムで人事領域全ての情報を蓄積・管理・可視化できる統合的な人事管理システムか、各人事の領域に特化した複数のHRシステムをほぼ自動で同期するBIツールを導入することで、データの一元的な可視化が行われ、タイムラグが少ない状態で統合・可視化できるシステムインフラが整備されています。

該当のシステムを活用すれば、経営層・現場マネージャーは、HRデータに基づいた組織の課題の特定・施策の効果検証を実行できます。

 

従業員の潜在的な能力を引き出したり、健康経営を推進したりすることにつながるエンゲージメントの測定方法や改善策等を解説しています。

 

本稿のまとめ

これまで見てきたとおり、日本国内で人的資本経営への注目度が高まり、人的資本経営の実践に注力する企業が増えている中で、人事部門は新たな価値提供を求められています。新たな価値を提供するには、人的資本経営の実践主体者である経営層・現場マネージャー・従業員のニーズを把握した上で、各ステークホルダーがより良い意思決定を行えるような「情報(データ)」と「人事の専門的な知見」を提供することが求められています。

人事部門が「新たな価値提供」を行うには、クローズド・オープンなデータを統合したHRシステム基盤を構築し、経営層・現場マネージャー・従業員それぞれがアクセスできる仕組みを整備することが必要となります。加えて、本稿ではあまり言及ができませんでしたが、人事の知見を活かしたデータ分析のノウハウ提供等を通し、組織全体のシステムの活用度合いを引き上げていくことが求められます。

本稿で示すHRシステム・データの活用レベルを参考に、目指すレベルと現状のギャップを把握した上で、活用レベル引上げの参考にしていただければ幸いです。

(注1)データドリブン:経験や勘などではなく、データに基づいて判断・アクションすること。
(注2)HRシステム(Human Resources System):人事関連の業務を効率的かつ高度に行うためのシステムのこと。
(注3)経済産業省,持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書~ 人材版伊藤レポート,2020
経済産業省,持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書~ 人材版伊藤レポート2.0,2022
(注4)BIツール(Business Intelligence Tool):様々なデータを分析・見える化して、経営や業務に役立てるソフトウエアのこと。

MS&ADインターリスク総研株式会社発行の人的資本・健康経営インフォメーション2025年3月(2024 No.2)を基に作成したものです。

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