価格交渉支援ツール「埼玉モデル」とは?特徴や使い方をわかりやすく解説

公開日:2025年12月15日

経営に関する全般

「埼玉モデル」とは、埼玉県が独自に進めている中小企業支援制度の呼び名です。特に価格交渉支援に関するツールの評価が高く、他の道府県での採用が進められていることから、ツールそのものを「埼玉モデル」と呼ぶケースもあります。

今回は価格交渉支援ツールの基本的な役割や仕組みを解説した上で、埼玉モデルの詳しい内容をご紹介します。また、埼玉モデルを活用して、実際に価格転嫁に成功した企業のモデルケースも見ていきましょう。

価格交渉支援ツールとは

「価格交渉支援ツール」とは、主に下請となる中小企業に対して、国や自治体が用意しているサポートシステムの総称です。下請企業が業績の向上や賃金の引上げを実現するためには、思い切った価格交渉による適切な価格転嫁の実現が課題となります。

そのためには、客観的なデータとしてコストの上昇状況等を明確に示し、交渉に説得力を持たせるための準備が必要です。価格交渉支援ツールとは、こうした準備をスムーズに進めるために活用できるサポートツールです。

例えば、中小企業庁では、さまざまな資料やデータベース、取引上の悩みについてアドバイスがもらえる相談窓口が整えられています。ここでは、一例として、中小企業庁がそろえている価格交渉支援ツールをご紹介します。

 

下請法に関する課題と対応案を取りまとめた報告書について解説しています。

 

資料:『ここから始める価格交渉』

『ここから始める価格交渉』とは、価格交渉のためのポイントや相談窓口、コラム等がまとめられた全4ページの資料です。価格交渉のために、まず何に目を向けるべきなのかが端的に整理されているため、取組の第一歩として目を通しておくと良いでしょう。

特に、交渉前の準備や交渉中のポイントがまとめられた「価格交渉チェックリスト」は、価格交渉のためのタスクを洗い出すのに便利です。価格交渉に向けて最低限必要となるプロセスが、具体的かつシンプルにまとめられているので、積極的に活用してみるのがおすすめです。

手引き:『中小企業・小規模事業者の価格交渉ハンドブック』

価格交渉のために準備しておくべきツールや、交渉時のポイント等がまとめられた全40ページのハンドブックです。内容は「準備編」「実践編」の2編からなり、『ここから始める価格交渉』よりもさらに詳しく、具体的にまとめられているのが特徴です。

例えば、実践編では説明資料の準備で必要なプロセスとして、「原材料費や労務費のデータ収集」「自社の付加価値を活かした代替案提示」といった取組の方向性が示されています。それぞれどのようなアプローチが必要なのか、モデルケースにも触れながら解説されているので、自社に求められる動きをつかみやすいのがメリットです。

また、多様な業種にわたる事業者の価格交渉が想定されており、幅広い企業が自社の環境に応じてアレンジしながら活用できる仕組みとなっています。

中小機構「価格転嫁検討ツール」

「価格転嫁検討ツール」とは、独立行政法人 中小企業基盤整備機構が運営するシミュレーションツールです。仕入れや材料費、人件費、水道光熱費といったコスト増加分を価格に転嫁させるため、目標取引価格をどのくらいに設定すべきかを試算できる仕組みです。

登録不要かつ無料で利用でき、数値を入れ替えながら検証可能なので、柔軟なシミュレーションが行えます。スマホ版も用意されているため、手元のデバイスで手軽に試算できるのも便利なポイントです。

そのため、まずは「簡単な操作で価格転嫁の必要性を明らかにしたい」という際に適したツールです。

中小機構「儲かる経営 キヅク君」

同じく中小企業基盤整備機構が提供するツールであり、利益を得るためにどのくらいの売上高が必要になるのかを細かくシミュレーションできるのが特徴です。商品・取引先ごとの収支状況を把握したり、伸ばすべき商品・取引先を明らかにしたりするのに活用できます。

また、価格転嫁の目安を検討する上でも活用でき、原価管理・管理会計のきっかけとなり得ます。そのため、価格転嫁検討ツールよりも、さらに一歩踏み込んだシミュレーションを行う際に適したツールです。

価格転嫁サポート窓口

中小企業庁では、適切な価格交渉・価格転嫁が可能な環境を整備するため、全国47都道府県にある「よろず支援拠点」に価格転嫁サポート窓口を設置しています。よろず支援拠点とは、国が設置する中小企業向けの無料経営相談所であり、経営に関する多様な専門家が在籍する支援施設です。

価格転嫁サポート窓口では、価格交渉に関する基礎的な知識を伝え、原価計算の手法の習得を支援するといったきめ細やかなサポートが行われています。

下請法の主な改正ポイントについて解説しています。

 

「埼玉モデル」とは

埼玉県では、全国に先駆けて中小企業に対するきめ細やかな価格交渉支援を実施してきました。革新的なサポートを通じて価格転嫁に成功する企業が増加しており、一連の取組と成果は「埼玉モデル」として注目を集め、全国の自治体が追随するようになっています。

ここでは、埼玉モデルと呼ばれる取組がどのような経緯でスタートしたのか、その背景も含めて取組の概要を解説します。

取組が行われた背景

埼玉モデルがスタートしたきっかけは、2020年5月に設置された「強い経済の構築に向けた埼玉県戦略会議」における議論にあります。この会議は当初、新型コロナウイルスによるダメージを受けた県内経済の強化を目的に開催されました。

埼玉県知事を議長とし、産業関係団体のトップがメンバーとして参加する会議体であり、現在は産官学金労の13団体も加わった対策を図るチームとなっています。

新型コロナウイルスの蔓延が落ち着きを見せると、次なる課題として「原材料費等の高騰」が掲げられ、2022年9月からは「価格転嫁の円滑化に関する協定」が締結されました。労務費、原材料費、エネルギーコストの上昇分を価格転嫁できる機運を作ることで、サプライチェーン全体の強化・向上を図るのが目的です。

また、この協定では単なる価格転嫁の実現だけでなく、その先にある中小企業の「稼げる力」の向上や賃上げまでの好循環を目的としているのも特徴です。

埼玉県の具体的な取組

埼玉モデルでは、価格転嫁を実現するための重要なポイントとして、「環境づくり」「サポート体制」「客観的データ」の3つの要素を取り上げました。そして、それぞれのポイントに対応する取組を具体化し、県を挙げて実践しています。

パートナーシップ構築宣言の普及

価格転嫁のための環境づくりとして、埼玉県が取り組んだのが「パートナーシップ構築宣言」の普及です。パートナーシップ構築宣言とは、サプライチェーン全体の付加価値の向上と、参加企業の共存共栄をめざして、発注者の立場で自社の取引方針を宣言するものです。

具体的には、サプライチェーンにおける新たな連携と、下請企業との取引適正化に関する取組を代表権のある者の名前で宣言します。特に「価格決定方法」や「コスト負担」、「支払い条件」「知的財産・ノウハウ」「働き方改革等に伴うしわ寄せ」といった重点5課題について宣言し、発注者側から望ましい取引慣行を築くことに重要な意味があります。

パートナーシップ構築宣言そのものは、全国のさまざまな企業体が導入していますが、埼玉県では、県を挙げて促進の働きかけを行いました。登録方法をわかりやすく周知するとともに、宣言企業に対しては、補助金や融資における優遇措置を設けました。

その結果、登録企業数は2024年時点で3,500社を超え、全国トップクラスの成果となっています。

サポート体制の拡充

2つめの要素であるサポート体制の拡充については、取組の一環として、中小企業診断士による伴走型支援が実施されています。県内の企業を中小企業診断士が訪問し、ツールの活用方法やコスト管理方法等のレクチャーを無料で行っています。

また、埼玉県では、全国に先駆けて「価格転嫁サポーター制度」が創設されました。これは、参画する金融機関の職員がサポーターとなり、パートナーシップ構築宣言の登録支援や相談の受付といった、支援策の浸透を促すため施策を実行するための制度です。

2024年時点で、既に16の金融機関、4,000人以上の価格転嫁サポーターが機動しており、県内でさまざまな活躍を果たしています。

サプライチェーン全体を運営管理するという概念であるサプライチェーンマネジメントについて、詳しく解説しています。

 

支援ツールの開発

3つめの要素である客観的データについては、県が独自に「価格交渉支援ツール」を開発し、手軽に高精度の資料を作成できるようにしました。原材料費やサービス価格の推移を簡単に表示できるツールとなっており、価格交渉時のエビデンス資料として活用可能です。

また、「収支計画シミュレーター」も開発し、価格転嫁の有無による財務状況の変化を自動的にグラフ化できるようにしました。ここからは、ツールの仕組みや使い方をより詳しく見ていきましょう。

埼玉県の価格交渉支援ツールの仕組みと特徴

埼玉モデルと呼ばれる取組の中でも、とりわけ全国的な注目を集めているのが、独自の価格交渉支援ツールです。使いやすさやクオリティの高さが評価され、県内のみならず、既に34の道府県で採用が呼びかけられています。

ここでは、埼玉県の価格交渉支援ツールの仕組みや特徴をご紹介します。

正確性と使いやすさが両立されている

埼玉県の価格交渉支援ツールの特徴は、データの正確性と使いやすさが両立されている点にあります。データは日本銀行の公表データに基づいており、正確性と信頼性がしっかりと担保されています。

また、人件費についても厚生労働省の「毎月勤労統計調査」に基づいて計算されており、情報ソースは明確です。誰でも簡易に扱えるように表計算ソフトが使われているため、自社の資料にもアレンジがしやすいのが利点です。

さらに、ツールは県のホームページで公開されており、誰でも無料で利用できます。

1,422品目もの原材料価格資料が簡単に作成できる

ツールには、1,422品目もの原材料価格推移のデータベースがストックされています。「期間」「参考業種」「業種名」を入力するだけで、簡単に必要なデータへアクセスできるため、原材料費等の推移を取り出してそのまま資料の作成に活かせます。

さらに、主要品目のテンプレートは業種別にPDFでも公開されているため、Excelの扱いに不慣れな方でもそのまま利用可能です。

男女の賃金の格差の推移をデータで示せる

2025年2月には、労務費の価格交渉にも対応できるように、新たな機能が追加されました。そのうちの一つが、男女間賃金格差の分析シートです。

これは、業界別での男女の賃金データを表示できる機能であり、幅広い業種や国際水準と比較して、自社の男女間賃金格差を分析できるのが特徴です。業種比較、国際比較が簡単に行えるため、価格転嫁の交渉においても、とりわけ人件費のデータを示す際に役立ちます。

労務費・最低賃金の推移を把握できる

2025年の機能追加では、労務費データの分析シートも新たに搭載されました。業界別の労務費データ(現金給与総額)を表示できるほか、都道府県別の最低賃金データも簡単に取り出すことができます。

労務費データと男女間賃金格差データの分析シートを活用すれば、自社の人件費の現状を客観的に把握することが可能です。自社の賃金を十分に上げられていない場合、客観的なエビデンスを示した状態で、取引先企業に価格交渉をしやすくなるでしょう。

収支計画シミュレーターとの併用が便利

「収支計画シミュレーター」とは、価格転嫁をした場合としなかった場合の財務状況の変化を自動的にグラフ化できるツールです。また、理想的な収支状況を実現するために、どのくらい価格転嫁すべきかを視覚的に把握することもできます。

さまざまな業種で活用可能であり、今後5年間の収支に対応しているため、経営計画の策定等の内部向け討議資料にも利用できるのが利点です。また、一般的な表計算ソフトが用いられているため、操作にあたって専門的な知識やスキルは必要ありません。

経営者自ら操作することも可能であり、わからない場合も相談窓口で丁寧にサポートしてもらえるため、幅広いシーンでの活用が期待できます。

埼玉モデルによる価格交渉の成功事例

埼玉県では取組の一環として、埼玉モデルを通じて価格転嫁が実現された事例を集めた「埼玉県価格転嫁成功事例集」を2024年に公開しています。事例集では、これまでの取組内容や現況とともに、異なる業種の企業における9つの事例が掲載されています。

ここでは、その中から2つの事例をピックアップして見ていきましょう。

 

運送業:運賃の3割アップを実現

ある運輸会社では、価格転嫁が難しい業界構造にじっくりと向き合い、大幅な価格転嫁を実現させました。運送業界では、多重下請構造による利幅の薄さにより、価格転嫁は特に難しいとされてきたのが実情です。

燃料費や車両検査費用が上昇する中で、コスト抑制に努めながらも利益が生まれず、同社は廃業もよぎるまでの事態に陥ります。窮地に陥った同社は、大口の取引先を
中心に価格交渉を行いますが、思うような回答は得られませんでした。

こうした中で、関東経済産業局の調査に協力した機会で、埼玉県の価格転嫁支援事業の存在を知ります。県の伴走型支援を受けた結果、改めて資料の見直しから着手し、価格交渉に取り組むことにしました。

まずは原価計算の正確な資料を作成し、燃料油価格から事務用品、消耗品費、保守料金等を細かく洗い出し、事業継続が可能な運賃を丁寧に試算します。その上で、行政機関から発出された公的文書も準備し、交渉材料に説得力を持たせました。

綿密に準備をして交渉に臨んだところ、もっとも緊急性が高い取引先での交渉が実り、2トン車運賃は30%の値上げに成功させます。さらに、運賃を上げてもらえなかった企業でも、より効率的な配送ルートに協力してくれるなどの成果が生まれ、生産性の向上につながりました。

値上げが成功したのはあくまでも価格高騰分の一部とされていますが、価格転嫁が難しいとされる運送業界において、重要な価値を持つ一歩となっています。

飲食サービス業:適正なメニュー価格の改定を実現

ある地域密着型の小規模飲食事業者では、新型コロナウイルスの影響を強く受けながらも、さまざまな経営努力で営業を続けてきました。しかし、その後も円安や国際問題の影響により、仕入れ価格や光熱費の高騰に直面します。

窮地を乗り切るために、一度はメニュー価格の改訂を行うものの、度重なる高騰によって経営状況は厳しさを増してきました。客足への影響も考えると、さらなる値上げには大きなリスクがあり、身動きが取れなくなっていたところで埼玉県の伴走型支援の活用を決断します。

まずは県の価格交渉支援ツールを使い、小麦やそば粉、天ぷら用サラダ油、LPガス・電気等の価格調査を一つずつ行いました。その結果、再度の値上げは避けられないことをハッキリと認識します。

加えて、収支計画シミュレーターを用いて分析を行ったところ、価格を1%上昇するだけで十分に経営改善効果が見込まれることが明らかになりました。数字の上で明確な目標ができたことで、再度値上げに踏み切れるようになります。

また、単に一律で値上げするのではなく、ABC分析(売上高・利益・コスト等の重要度でA・B・Cの3つのグループに分類し、経営資源を効率的に配分するためのフレームワーク)を用いて価格を上げるべきメニューの見極め等も行いました。さらに、専門家のアドバイスを受け、レシピの見直しや新メニューの考案、装飾の入替等でチェーン店との差別化にも着手しています。

まとめ

企業経営における「埼玉モデル」とは、埼玉県が全国に先駆けて実施してきた中小企業支援の通称です。具体的には、主に下請となる中小企業が適正に価格転嫁をし、業績の向上や賃上げを果たすためのサポート制度を指します。

特に、取組の一環として整備された「価格交渉支援ツール」や「収支計画シミュレーター」は、情報ソースが正確で操作もしやすく、無料で誰でも使える点が広く注目を集めています。自社の価格交渉にもそのまま利用できるものばかりであるため、経営戦略の立案や資料作成の準備等に活用してみてはいかがでしょうか。

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