企業の持続的成長を支える健康経営~今、注目の睡眠時無呼吸症候群(SAS)対策とは?~
公開日:2025年12月19日
健康経営・メンタルヘルス

2016年、経済産業省によって創設された健康経営優良法人認定制度は2025年10年目を迎え、従業員の健康が企業の収益性を高めるとする「ヘルシー・カンパニー思想」が、中小企業にも広がりを見せています。認定社数は前年比で、大企業412件(14%)、中小企業3063件(18%)と急増、申請法人数は2万社を超え、本認定制度は10年で着実に浸透してきました。
本ニュースでは、健康経営の10年の振り返りと、経済産業省が示す今後の展望を紹介するとともに、新たな取組として、今企業から注目されている睡眠時無呼吸症候群(以下SAS)について解説します。
健康経営の全体像と今後の展望
●人材確保面でのメリット
健康経営を行うメリットは、主に「生産性の向上」 「企業イメージの向上」 「離職リスクの低減」 「保険会社等の割引による保険料の低減」の4つだと言われていますが、取組の成果が顕著に表れやすいのが、数字で示される離職率です。経済産業省の調査によると、企業における全国平均離職率は11.1%ですが、健康経営優良法人認定制度に申請した企業は4.6%、さらに健康経営銘柄(※)に選ばれた企業の離職率に至っては、2.2%と大変低い離職率となっています。
※健康経営銘柄は、経済産業省と東京証券取引所が共同で選定する上場企業を対象とした制度
一方、求人においても、「健康経営優良法人」というワードを含んだWEB検索が可能となるため、人材不足に苦慮している中小企業の従業員確保の一翼を担っていると言えます。
その他にも、健康経営導入によるインセンティブは、自治体や銀行等、各分野からの奨励金や補助金等、複数の優遇措置がありますので、企業経営に直結する認定制度として、有効に活用されることをお勧めします。
●従業員の意識改革の難しさ
メリットが大変多い認定制度ではありますが、懸念されることもあります。まず、2023年から新たに(事務局の民営化に伴い)大企業で16,500円(税込)、中小企業で、8,800円(税込)の申請費用が必要になりました。
さらにチェック項目が徐々に増えて、申請に伴う膨大な書類作成等、事務量の負担が大きくなりつつあることも見逃せません。また、健康経営というブランド力を得たものの、従業員の健康意識の向上にまでは繋がっていないという残念な企業の現状も耳にします。
「健康意識は定量的に判断しづらい」、「取組の成果は実感できるまでに時間を要する」という理由から、3年間連続して健康経営優良法人の認定を受けていた中小企業は、申請費用が必要になった時点で申請を取りやめました。社内が一丸となって、取組の成果を感じることは、想定以上に難しいと感じられます。
●健康経営に係る顕彰制度について(全体像)
経済産業省が2025年度からの取組として新たに掲げているのは、①中小企業の上位500を示す「ブライト500」の下位である、「ネクストブライト1000」の新設と、②大企業における健康経営度調査の大きく2つがあります。

●健康経営度調査とは?
健康経営度調査とは、フィードバックシートという評価のためのチェック項目に、企業が実績に基づいて回答した結果を、「健康経営度評価結果」として表しているものです。既に2024年3月、健康経営優良法人認定事務局ポータルサイトで一括開示していますので、他企業の取組等参考になると思われます。
評価される大きな項目は10項目あり、その中でも評価の内訳として示される、①経営理念・方針 ②組織体制 ③制度・施策実行 ④評価・改善の側面からの総合評価により、全体別、業種別等で他社と比較され、これらがそれぞれ偏差値を表すグラフで表されます。各評価にはかなり踏み込んだ項目や、経年比較があるため、企業の本気度がオープンになり、他社とシビアに比較される調査だとも言えます。ただ、本調査は、企業自らが取組の成果を振り返り、自社の立ち位置を把握することが目的と示されています。
また2025年度から、健康経営度調査はブライト500とネクストブライト1000についても公開が求められるようになります。認定制度の申請の際には、中長期的な事業計画や、労使間のコンセンサス等を綿密に行うなど、社内が一丸となって持続可能な取組ができるかどうかなど、慎重に検討する必要があります。
※ホワイト500取得法人には開示要件がありますが、ブライト500とネクストブライト1000には事前に開示可否にかかる意向の確認が行われます。
健康経営優良法人HPでは中小企業における健康経営の実践事例も紹介されています。
ACTION!健康経営「中小規模法人部門 取り組み事例集(健康経営優良法人2024)」
経済産業省「これからの健康経営について」
●新規項目と社会への浸透
2025年度新規に追加された評価項目は、『育児または介護と就業の両立支援に向けた取組み』、働く女性の増加と、女性特有の健康課題への対応するための、『女性の健康保持・増進に向けた取組み』、『高年齢従業員の健康や体力の状況に応じた取組み』、『心の健康・保持増進に関する取組み』の4項目があります。
心の健康への取組の一環としては、職域向け心の健康サービス選択支援ツール「ウェルココ」が2025年秋に公開予定となっています。また、PHR(※)の推進により、個人の健康や身体の情報を記録した、健康・医療・介護等の生涯における電子データ活用を目指しています。その他、健康経営の推進に資するサービスのマッチングのための仕組みづくり等が検討されています。
※PHR(Personal Health Record)とは、生涯にわたる個人の健康・医療に関わる情報(個人の健康や身体の情報を記録した健康・医療・介護などのデータ)
●Gマークと健康経営
今、経済産業省が認定社数拡大に向けてターゲットとしているのが、中小企業が9割を超えるトラック業界です。全日本トラック協会には、既に当協会が独自に認定する評価制度、「安全性優良事業所(Gマーク)認定制度」がありますが、Gマークの加点対象には、評価の高い項目として、睡眠時無呼吸症候群(SAS)対策や定期健康診断のフォローアップ事業である「運輸ヘルスケアナビシステム」が含まれています。
いずれも、当法人(NPO法人ヘルスケアネットワーク(OCHIS))が全ト協から事業受託しているものですが、これらの事業は健康経営の目的やチェック項目にほぼ合致(カバー)するため、トラック事業者の中には健康経営優良法人認定取得を目的として、これらの事業を利用するところさえあります。
トラックドライバーは、長時間労働や不規則勤務から生活習慣が乱れやすく、定期健康診断の有所見率が66.4%と、他業界の平均より8ポイントも高くなっています(厚生労働省 令和4年業務上疾病発生状況調査)。さらに急速な高齢化の進展やドライバー不足が、ドライバーの健康状態の悪化や、それに伴う健康起因事故の急増に追い打ちをかけています。Gマークや健康経営等の認定制度が複合的に基盤となり、業界の底上げを推進する役割を担うことを切に願うものです。
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企業がなぜ「健康経営」に取り組まなければならないのか、ポイントを解説しています。
SASと健康経営
2023年度健康経営度調査フィードバックシートで公開された、大企業(運輸部門)を見ると、SAS検査を実施している事業者が多々あり、しかも事業用自動車以外の大企業にその傾向が見受けられました。このことからもSAS対策が確実に健康経営認定制度上のターニングポイントの一つであることを感じとることができます。
さらに昨今、睡眠は、多くのメディアでも取り上げられ、サプリや睡眠グッズ等、睡眠ビジネスの販路が拡大されてきています。大手の “先進的”で感度の高いと思われる企業ほど、「良質睡眠が生産性を高める」という当たり前の認識で、SAS対策を導入し、しかも健康経営認定制度のホワイトをしっかり獲得しているように感じられます。
【ご参考】国交省 「自動車運送事業者における睡眠時無呼吸症候群対策マニュアル~SAS対策の必要性と活用~」を改訂
国交省では2025年7月14日、10年ぶりに、SAS対策マニュアル改定版を発出しました。改正ポイントは、次の5点です。
・本篇と同時に簡易版を作成したこと
・SAS事故事例を巻末に4例掲載していること。事例は今後随時差替えの予定
・全身におよぶ合併症や、認知症について解説していること
・治療継続の重要性を特に強調していること
・最新型CPAP治療や、デジタル社会に対応した受診について解説していること
参考:改訂版「自動車運送事業者における睡眠時無呼吸症候群対策マニュアル」~SAS対策の必要性と活用~
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睡眠時無呼吸症候群(SAS)の必要性と進め方について解説しています。
SASと全身におよぶ合併症
以下の図が示すように、SASは血管、心臓、脳、自律神経等全身におよび、生活習慣病と密接な関係にあります。
循環器の医療機関では、降圧剤を投与しても効果が得られなかった高血圧の人にはSASを疑うといいます。CPAP(※)によるSAS治療の有効性については、次のように学会のガイドラインが示しています。

出典:2023年改訂版 循環器領域における睡眠呼吸障害の診断・治療に関するガイドライン
※CPAP (持続陽圧呼吸療法):鼻マスクから送られる空気圧で気道を広げ、無呼吸を防ぐ。有効性、即効性がある

●SASと認知症
筆者は10年前、そして2025年7月に発出された、国交省のSAS対策マニュアルにも執筆という形で作成に関わりましたが、年月を経て変わる認識の中に、SASという病気の捉え方があります。その背景として考えられるのは、職場環境の変化や、急激な高齢化社会の進展があり、SASのうつや認知症への影響が注目されています。
認知症は、無呼吸(呼吸停止)により、脳への酸素供給が不足し、認知機能低下に至るためとも言われています。SASだと判定されても、「たかがいびき」と、気にも留めなかった人が、「認知症に繋がる」と聞き、あわてて治療を開始したという話をよく耳にします。2025年には65歳以上の5人に1人が認知症になると予測されていましたが、既に現在進行形で、多くの人にとって認知症は「身に迫る恐怖」かもしれません。
もちろん企業にとっても、従業員の高齢化が加速する中、認知症の問題は深刻です。認知症は約10年かけて徐々に進行していくと言われていますので、持続可能な企業を目指し、健康な従業員を確保するためには、若年層を視野に入れたSAS対策が求められます。
SASとプレゼンティーズム
プレゼンティーズム(presenteeism)」とは、体調不良や病気等、何らかの健康問題があるにもかかわらず、欠勤せずに業務をこなしている状態のことを指します。つまり、出勤はしているが、生産性が低下している状態です。プレゼンティーズムが健康経営の観点から注目されているのは、企業の損失を可視化し、対策を講じることで、従業員の健康改善と生産性向上に繋げることが期待できるからです。
●プレゼンティーズムによる生産性の低下
ある調査によると、プレゼンティーズムの原因としてされる病気は、 アレルギー、関節炎、喘息、首や腰の痛み、呼吸系の疾患、うつ、糖尿病、偏頭痛、循環器系疾患、胃腸等の疾患が挙げられています。しかしその背景には、睡眠不足、運動不足、食生活の乱れ等の生活習慣や、ストレス(疲労)の蓄積があり、その背景の見直しこそが重要だとされています。
良質睡眠不足であるSASのプレゼンティーズムを例に挙げれば、次のようなものがあります。
・交通労働災害を引きおこす
・会議中に寝てしまう
・人と話していてもウトウトしてしまう 等
一見誰しもが経験したことがあるような、些細な行動としては次のようなものがあります。
・パソコン作業中のミスタッチが多い
・作業に時間が掛かりすぎる
・思考力の低下によりアイデアが浮かばない
・眠いことを紛らわすため席を外す回数が多い 等
これらの行動がプレゼンティーズムの蓄積となり、生産性を低下させるといわれています。
朗報として、SASを治療した人は、「頭がすっきりして仕事が捗るようになった」、「仕事のやる気が出てきた」「性格が穏やかになって、職場の人間関係がよくなった」「家族とコミュニケーションが取れるようになった」というような感想を述べ、生活が変わった嬉しさを表現します。
日本ではSASの潜在患者数は500万人だと言われていますが、治療をしている人はわずか50万人にすぎません。勤労者が抱える日常的なプレゼンティーズムに気づかず放置していたとしたら、企業は莫大な損失を見過ごしているのかもしれません。
●企業にとってSAS対策は外せない
企業には、労働安全衛生法に基づく定期健康診断や、ストレスチェック、最近では熱中症対策等、法令順守項目がありますが、見過ごしがちなのが、SAS対策です。現在のところ義務ではありませんが、重篤な合併症を誘発し、業務のパフォーマンスを低下させるなど、多くのリスク要因との関連性を考えれば、定期健康診断を受診するイメージで、SASスクリーニング検査の導入をお勧めします。
また、SASには、医療機関に出向かなくても自宅でできる簡易なスクリーニング検査があります。さらにその結果を踏まえて、治療が必要な人には、CPAPという即効性が期待できる治療法があり、最近では頻繁に受診しなくてもよいオンライン診療も広がってきています。まさしく「忙しく受診できない」という働き盛り世代には朗報です。
睡眠の問題は、個人の生活習慣として片づけられがちですが、むしろ企業のリスクマネージメントの一環としてのSAS対策をお勧めします。
企業における健康管理の基本である健康診断について、押さえておきたい関係法令と解釈、さらに効果的な活用法を解説しています。
まとめ
健康経営優良法人認定制度は創設から10年が経過し、物流業界や中小企業にもすそ野が広がり、新たなステージに入っています。今後は、認定制度のブランドが独り歩きするのではなく、確かな成果や実績の検証を基に、さらに社会的な評価を受けることのできる制度に進展していくものと考えられます。
経済産業省は、個人、組織、地域・社会、経済、さらには国際社会への波及効果と、めざすべき姿を示しています。
地に足が着いた形で、人々が健康の大切さを自ら感じられる制度として定着することを願います。
後半で記したSASは、既に交通労働災害等の事故防止や健康寿命延伸に寄与する疾患であるという認識が定着していますが、本ニュースでは、そこから一歩踏み込み、健康経営における、「従業員のプレゼンティーズム」に焦点を当てて解説しました。今後は、「生産性をアップする対策」という新たな認識の下、多くの企業がSAS対策を有効に活用されることを期待します。
NPO法人ヘルスケアネットワーク(OCHIS) 副理事長 作本 貞子
国土交通省健康起因事故対策協議会委員
健康起因事故防止ワーキンググループ委員
「安全と健康を推進する協議会」(両輪会)代表
【プロフィール】
2003年、居眠り運転と関連性の深い睡眠時無呼吸症候群(SAS)対策事業を日本でいち早く立ち上げ、全日本トラック協会や日本バス協会のSAS検査の指定機関等として突出した実績を持つ。
2017年、運輸業界向けに定期健康診断結果をフォローアップする運輸ヘルスケアナビシステム🄬を構築し、全日本トラック協会の受託事業として全国展開している。
安全と健康をテーマとして、全国的にセミナー講演や執筆活動を行っている。
●著書
「睡眠時無呼吸症候群(SAS)ガイドブック」
「睡眠時無呼吸症候群(SAS)早わかりガイド」
「睡眠ガイドブック」
「運輸業界のためのSAS対策Q&A50」 他
●執筆
全日本トラック協会「健康起因事故防止マニュアル(改訂版とも)」
「新型コロナウイルス感染予防対策マニュアル」
自動車事故対策機構(NASVA)「運行管理者一般講習用テキスト29年版」
国土交通省発出「SAS対策マニュアル改訂版」2015年8月の執筆に関わる。















